■終点:武者泊(むしゃどまり)
路線図
宇和島から1時間の城辺ターミナルで乗り換えること、更に1時間。
崖に貼りついてヘロヘロと続く道の終わり、そこが終点でありました。
稜線近くにある小高いバス転回場から下を見ると、深い入江にへばりつくよう家並みが広がっています。
ようやく行き着いた武者泊は、そんな外海の集落でした。
愛媛県の南端、御荘から宇和海に突き出すように船越半島が伸びています。
リアス式海岸が続き、古くから好漁場として知られているところです。
半島は瀬戸内側と太平洋側で地域がわけられ、それぞれ内海(うちうみ)、外海(そとうみ)と呼ばれています。
比較的波穏やかな内海に対して、太平洋の波洗う宿毛湾に面する外海では、黒潮の分流が海岸を激しく洗うのです。
このような環境の違いは、地域の糧である漁業にも現れており、 内海で多く目にした真珠やブリの養殖筏は少なく、かわって一本釣り漁船の姿が多くなります。外海、なかでも武者泊は、昔ながらのカツオ一本釣りで暮らしをたてている所なのです。
あいにく訪れた3月のあたまはカツオ漁の夜明け前。しかし、どこまでも静かな集落ながら、その後ろには入り組んだ海岸線と豊かであろう大海原が広がります。目をとじると大漁旗を掲げて帰港する漁船が浮かぶようです。
「今は一番に時期が悪いですよ。また来たらええです。」
ハンドルを握る運転士も、こう言ってしきりに惜しがってくれたことですし、ぜひ漁のシーズン中に再訪してみようと思う終点です。
(平成25年3月訪問)
■宇和島自動車武者泊線概要
国道56号線沿いの城辺バスターミナルと、船越半島南端の武者泊を結ぶ路線です。
昭和14年4月20日に開業した城辺~船越間を基本としており、以後、道路の改良を待って順次延伸を重ねてきました。
戦争を挟んだ昭和22年5月15日には船越から福浦まで、続く昭和34年1月31日には麦ケ浦まで延伸され、昭和42年6月26日に武者泊まで全通しました。
当初は城辺~船越間において県道34号線を経由していましたが、昭和51年の西海有料道路開通を受けて一部を同道路経由へと振り替えます。その後、平成22年に西海道路経由へと一本化され(小屋浦~竹倉間廃止)、現在の形となりました。(※)
開業時の運行本数は確認できませんでしたが、昭和20年6月時点では4往復が運行されています。福浦延伸時にはそのうち3往復が福浦に直通し、残る1往復は船越止めのまま残りますが、麦ケ浦延伸時に4往復すべてが終点まで走るようになり、武者泊延伸時にはこれが6往復となりました。その後の大きな変更はありません。
平成22年10月改正の現行ダイヤでは、1日6往復のうち1往復が日祝運休、2往復が学休日運休で、途中の船越にて外泊方面と連絡する便も設定されています。
全便とも城辺営業所に所属する中型車で運行され、毎晩1台が武者泊にて運転士とともに夜間滞泊をおこなっています。また、西海道路口~武者泊間は自由乗降区間の指定を受けています。
(※)県道320号線西海有料道路は平成18年に無料開放され、平成24年には県道34号線に統合されています。そのため、廃止された区間を正確に言うと、県道34号旧道区間となります。
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船越入口~船越間にて |
■参考文献
『西海町誌』(西海町、昭和54年)
『御荘町史』(御荘町、昭和45年)
『全国バス事業要覧 昭和27年度版』(日本乗合自動車協会、昭和26年)
『全国バス事業要覧 昭和30年度版』(同上、昭和29年)
『愛媛県のバスとタクシーの歩み』(愛媛県旅客自動車協会、昭和38年)
『宇和島自動車労働組合50年史』(宇和島自動車労働組合、平成9年)
『角川日本地名大辞典 愛媛県版』(角川書店、昭和56年)