前回に続いて、大島島内路線の歴史と、知られざる路線について紹介します。
島という海運が優勢となる立地条件ながら、大島におけるバスの歴史は比較的古く、昭和6年には個人(矢野武夫)の手で宮窪~幸間のバス営業がはじめられて
います。6人乗りのシボレーただ1台で行われた小さな事業でしたが、戦争が激化するまで10年以上にわたって続けられました。
戦争が終わると昭和27年に宮窪~吉海間にバスが復活します。同じく個人(小原博・現在の小原タクシー)によるもので、免許上はハイヤーであるものの、事実上の乗合バスだったようです。同様の事例は各地に見られ、愛媛県内でも弓削島や中島で同様の行為が行われておりました。
道路運送法に基づく「乗合バス」が登場したのは昭和36年のこと。大島をはじめ、近隣の大三島など越智郡三島五町(現在の今治市島嶼部)の共同出資によって設立された「大三島観光交通」が、宮窪~幸間で路線を開設しました。個人による脱法的な営業を正し、また地域内で体系的な路線網を築くためにも、会社組織による運営が求められていたのです。
その大三島観光交通は瀬戸内運輸の資本参加を経て、昭和39年に瀬戸内海交通へと社名を変更します。そして翌40年に大島営業所が開設され、それを受け下田水から田浦・早川・友浦へ向かう路線が相次いで開業。ここに現在まで続く路線網が完成したのでした。
さて、バス網の整備に合わせて進められたのが、島内にある小学校の廃統合(宮窪・吉海小学校に統合)です。近頃はどこの過疎地でも行われている学校の統合ですが、大島に当時存在した宮窪・吉海の両町では、この時期に行われました。
統合新設された学校への通学手段は、もちろん上記の路線バスなのですが、それらのルートから外れる集落からの足として、朝夕のみ運行のスクールバス
が設定されました。これが時刻表に載っていない「知られざる路線」なのです。そう、このスクールバスの特筆されるべきは、あくまで一般路線であり、誰しも
が乗車をできるという事でしょう。
ちなみに、「スクールバス」の運行ルートは以下のとおり。
朝方
営業所→志津見を往復→南浦→名駒→下田水→営業所
夕方
下田水→名駒→南浦→営業所→志津見を往復→営業所
配布時刻表は存在せず(平成15年までは主に生徒向けとして作成していた)、方向幕も社幕で代用されることが多いのですが、れっきとした路線バスです。
最近の学校統廃合では、十中八九専用のスクールバスが用意されます。昭和中頃という早期に統合が行われた大島ならではの「限りなく貸し切りに近い」一般路線。たいへん珍しい存在と言えます。
その特殊性に加え、もちろん長期休暇や土日など学休日は全て運休ですから、相当に乗車ハードルは高いですが、運行日に大島を訪れた際にはぜひ乗ってみてください。
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