2013年1月30日水曜日

【バス終点】江田島バス/小用-大須差須浜

■終点:大須差須浜(おおずさすはま) 路線図(少し異なりますが)
東京築地から移ってきた海軍兵学校を嚆矢に、海事都市として発展を遂げた江田島。

島の中央部にある江田島湾から北を望むと、兵学校生徒の鍛錬の場であったともいう標高394メートルの古鷹山がそびえています。目指す大須差須浜はその向こう、繁華な江田島湾沿いとは対照的に、今も昔ながらの風景が残る北岸沿いの一集落です。


市街地に近く、島で最大の規模を誇る小用(こよう)港を出たバスは、岸に沿う環島道路をすすみます。切串、幸ノ浦と点在する集落をゆっくりと走り抜け、まもなく北西端にあたる大須差須浜に着きました。

古鷹山によって江田島市街と隔てられた島の北岸には、長閑で風情ある景色が続きますが、中でも終点・大須は、まるで他の集落と引き離されるように、東を椎ノ木鼻岬、西を鼻グリ岬に挟まれており、とりわけて静かなところなのです。


静かなだけではありません。ここでは漁村では生活の糧とも言える船の姿が見受けられないのです。 これは、集落の向かい、似島との間に広がる大須瀬戸が関係しています。ここの潮の流れはたいへん強く、漁業には不向きなのです。

そのため、大須の集落では農業が古くより盛ん。土地を能美島などにもつ者も多く、かつては農耕船が利用されていたと聞きます。しかし、島の道路網が整備されるにつれて人々の足は車に変わっていきました。

海に面しながら、農業が盛んなムラ。ここでは、農耕船が姿を消すと共に、海が生活から遠ざかったのかもしれません。たしかにバス転回場のほとりにある小さな小さな漁港に繋がれている船もたったの四隻です。瀬戸内の島影が広がるなか、まるで山村のような静けさにつつまれた不思議な終点が、ここ大須差須浜なのでした。


■路線概要
江田島の北岸を走っていた江田島バスは24年春に廃止され、市営のデマンドタクシーに代替されました。
末期は小用港と大須差須浜の間は平日のみ1日2往復、加えて大須や切串との間の区間便もありました。

(24年3月訪問)

2013年1月23日水曜日

【バス終点】伊予鉄道/(川内管内)滑川線

■終点:海上(かいしょ) 路線図(この最も東です)
横河原駅から東進してきたバスは、桜三里の中ほどで小松街道に別れを告げ、渓流沿いの狭隘路を注意深く走り抜けていきます。


この区間は多くの伊予鉄バス運転士さんが声を揃えて「腕の見せ所」とおっしゃるだけあって、路肩にバス停ポールを建てるスペースがない(※)ほどに狭い道路を、小型バスにも関わらずガードレールに付かず離れずで進んでいくのです。
(※)電柱やガードレールにラミネート加工された紙の時刻表が直接貼り付けられています。


目指す終点・海上は名前に反して山深いところで、石鎚山の高峰とそれに続く山々をひかえ、停留所より上流1キロメートルにわたる滑川渓谷は市名勝に指定されています。

滑川渓谷は特に氷柱の名所として知られていますが、この路線は山間部の気候に道の狭さが相まって、積雪や路面凍結による冬季運休が伊予鉄で最も多いそう。氷柱が美しい大寒波の朝などは、残念ながらバスが走らないやもしれませんね。

松山から1時間ほどとは思えない、四国随一のスリルを感ずる名路線でした。

(ここほどポンチョが似合わない路線を他に知りません)
■路線概要
海上と川内バスターミナル間は土曜平日のみ4.5往復のダイヤで、うち一部は横河原駅や見奈良駅、東温市役所まで足をのばします。
長らく平日のみ3往復の運行でしたが、東温市の地域公共交通政策による社会実験として、平成23年より24年度末まで試験的に増便が行われています。
なお、小松街道と別れる落出-海上間が自由乗降区間に指定されています。

 (24年8月訪問)

2013年1月20日日曜日

【バス終点】神奈川中央交通/秦20系統(秦野駅-蓑毛)

■終点:蓑毛(みのげ) 路線図
フロントガラス一面に丹沢の美しい山並みが広がるなか、秦野駅からの神奈中バスはエンジンを唸らせて金目川に沿う急な道を上っていきます。

(回送便ですが...)
丹沢山地といえば関東では知られた行楽地ですが、その人々を惹きつけて止まない美しさや荘厳さは今も昔も変わらず、古来より山岳信仰の対象とされてきました。
なかでも名高いのが大山(おおやま)で、富士山を彷彿とさせる山容がひときわ目をひきます。

終点・蓑毛はその大山の南麓にあり、大和政権の頃より大山信仰の中心として栄えたところです。


集落の北側にある大日堂は、奈良の大仏を建てるおりに聖武天皇の勅願所として創建されたと伝えられ、また江戸時代には地域を治めた旗本・揖斐氏によって信仰登山者向けの茶屋が当地に設けられていました。
 
「蓑毛」という地名とて、大山に登る日本武尊に村人が蓑と笠を送ったことが由来と言われ、ここはまさに大山と共に歩んできた集落なのです。


もちろん今でも大山登山の出発地。バス停のほとりにある登山口からは、江戸時代に建てられた道標に見送られて、今日もまたひとりハイカーが山頂めざして歩いていきます。

■路線概要
秦野駅と蓑毛を秦野市街地や名古木集落を経由して結びます。
所要は全区間で15分ほど。運行本数は日中毎時2本ほどと比較的多いです。
また本数は少ないながら蓑毛の先に向かう秦21系統もあり、こちらはヤビツ峠まで運行されています。

(25年1月訪問)

2013年1月19日土曜日

【バス終点】徳島バス阿南/椿泊線

■終点:小吹川原(おぶがわら)  路線図
阿南市中心部にある橘営業所から30分。バスはひたすら田園地帯を走ってきましたが、やがて小さな切り通しを越えると、眼前に細長い入り江が広がります。その南側に延びる岬が四国本島の最東端にあたる蒲生田岬、北側に延びるのが燧岬で、こちら燧岬に終点・小吹川原の停留所があります。


小吹川原とは、このあたり椿泊集落の字であり、漁港の裏手にバスポールが立っているだけのささやかな終点です。

燧岬と蒲生田岬、二つの岬に挟まれた長い入江は天然の良港を生み出しました。それに育てられたのが、ここ椿泊の集落で、古くは阿波水軍の本拠地として知られ、今でも椿泊漁港は阿南市最多の漁獲高を誇ります。

しかしその反面、陸路は険しく、集落までは狭い道が続いています。バスは谷間や海岸線にへばりつく県道を、巧みなハンドルさばきで抜けていきますが、実はその限界が小吹川原。ここより先、集落の中心には入ることが出来ないのです。

終点の先に伸びる細い路地は、戦前の姿を今に伝える椿泊の古い家並みに続いています。バスすら拒む昔日のままの集落が瀬戸内の隅っこに残っていたのでした。


■路線概要
阿南市の南東部、紀淡海峡に面した燧岬を目指す路線です。
徳島バス阿南のターミナルでもある橘営業所からは、曜日に関わらず1日5往復・所要40分の運行。もともとは徳島バス本体の路線でしたが、昭和60年に徳島バス阿南へ移管されました。

(24年9月訪問)

2013年1月13日日曜日

【バス終点】宇和島自動車/本網代線

■終点:本網代(ほんあじろ) 路線図(一部違います)
由良半島の稜線に沿って走ってきたバスが海沿いの集落に降りてきたかと思うと、まもなく終点の本網代に着きます。


由良半島をはじめとする宇和海一円は真珠の養殖で知られ、ここ網代でも多くの住人が真珠で生計を立てています。バス停の後ろにも真珠小屋とよばれている共同漁具倉庫が並び、バスの真横にも養殖ネットが見受けられます。

太平洋からの風が吹き付ける半島南岸の漁村では、波が穏やかな北岸で多く見られる焼き杉住宅は数えるほどしかなく、コンクリ造の特徴的な家並みが広がります。そして網代の民家の表札をよくよくみると気付くのが「浦和」姓の多さ。

これは近世に網代浦を開発した土佐人・儀左右衛門の功績が宇和島藩に認められ、その子・万蔵に許された姓とのこと。新浦として認められたのが文化5年。2世紀以上が過ぎた今でも開拓者の子孫が代々暮らし続ける由良半島突端の小集落です。

「真珠作っとる方が儲かりますから、海沿いの者は誰も運転士などならんのです」
夜間滞泊について伺ったおり、運転士さんが快活に笑ってこう言いました。ほんとうに豊かなところです。


■路線概要
愛媛県南予地方、宇和海に面して突き出したリアス式海岸が美しい由良半島を走る路線です。
この半島の稜線は宇和島市と愛南町の境でもあり、バスは幾度も境界をまたぎつつ南北両岸にある集落を結びます。


ダイヤは1日6往復。うち1往復が宇和島との直通便で、残る5往復は半島の付け根にある須の川止まりとなっています。
特筆されるのが、毎日終点で3台ものバスが夜間滞泊するということ。終点近くに宇和島バスの運転士さんは住んでいないため、必ず3人全員が乗務員詰所で泊まるそう。古き良きローカル線の姿が残っています。

(25年1月訪問)