四万十川の上流、檮原川の源流近くに、梼原という町があります。
四国山地の西部、愛媛県との県境にある山深いところです。
濃緑に抱かれた家々は、谷あいに寄り添うよう屋根を連ねています。 合併前の人口はおよそ二千。険しい地勢ながらも大きな集落です。
これはひとえに津野氏、長宗我部氏の頃より伊予に通じる国境の村であったからに他なりません。梼原には、須崎から大洲へと続く梼原街道が通ります。
その道は峻険な四国山地にふさわしく、山肌に貼り付いた頼りない道です。しかし、高知から梼原への道は他になく、幕末期には坂本龍馬をはじめ、土佐勤王党や天誅組など、多くの志士たちがここを通って脱藩していきました。
写真中央の道を走ります |
(平成24年8月訪問)
■路線概要
県交通グループに属する高知高陵交通は、梼原町の出資によるバス会社であった梼原観光自動車と、高知県交通の2社によって設立された会社であり、高知県西部の須崎市および高岡郡内山間部を主な営業範囲としています。
須崎梼原線は同社における最も主要な路線であり、「須崎本社営業所」と、「梼原営業所」間を結んでいます。
路線の歴史も古く、昭和元年に須崎梼原間が開業し、昭和38年には高知市への直通急行バス「ゆすはら号」が走るようになりました。
基本的には国道197号線を走りますが、途中の大川第一停留所-桂トンネル間で旧国道となる県道377号線を通る「大西経由」便と、そのまま国道を走る「布施ケ坂新道経由」便、ふた通りの経路があります。特に県道区間は狭隘路が連続します。
なお、高知直通便は全て新道経由です。
平成23年10月1日改正時点で、須崎梼原間は5往復あり、うち大西経由が2往復です。ほかに須崎杉の川間、須崎新田間、新田梼原間の区間便が若干あります。
曜日によって運行本数が変わりることはないですが、新田梼原間の区間便については学休期間中の運行がありません。
■狭隘区間:大川第一から桂トンネル(大西経由便)
須崎から30分ほど。旧葉山村の役場が置かれた津野町永野の集落を過ぎてまもなく、バスは国道から逸れて、旧国道である県道377号線へとハンドルを切ります。
新荘川の最上流に位置するこのあたりは、川を軸にして北部と南部の山地に分かれた葉山地溝帯を形成しており、県道は川の北岸の断層崖に沿うように走るのです。
道の片側は断崖絶壁が、もう片側には剥き出しの法面がそびえ立つような狭隘路が続いており、加えて、北岸・南岸から新荘川に流れ込む多くの支流が作り出した河岸段丘を越えつつ進むこととなるため、上り下りの勾配もきつく、車窓の遷り変りには全く飽きがきません。
それぞれの支流との合流点ごとにある集落をいくつか過ぎ、鶴松(かくしょう)森の巨峰が仰ぎ見えるようになると、バスは再び国道へと戻ります。 野越トンネルで新荘川水系と四万十川水系との分水嶺を越えると、いよいよ梼原町です。