■終点:魚梁瀬(やなせ)
太平洋に沿って走ってきた安芸からの小型バスは、安田の貯木場を見過ぎると、いよいよ急峻な四国山地へと入っていきます。
このあたり、高知県東部にある安芸郡は広く林業で栄えた所で、なかでも広大な国有林が広がる魚梁瀬は、営林署の手で拓かれた四国を代表する林業の村です。
魚梁瀬の歴史を紐解く上で重要なのが、山深い奥地にある森林資源を切り出すために作られた魚梁瀬森林鉄道で、魚梁瀬と安田(田野)、奈半利の貯木場を結びました。この建設こそが、魚梁瀬を拓き、発展させたのです。
それまで、もっぱら人力や牛馬車、そしてせいぜい奈半利川・安田川を利用した流材によって木々を伐り出していた四国山地に、はじめて近代的で効率的な輸送手段が現れたのですから、それはもう革命でした。
時代が進んだのちのこと、電源開発による奈半利ダム建設に伴い、材木輸送はトラックへと代替されますが、一部区間では道路へと転用され、かつての鉄道ルートは今でも欠かせない大事な輸送路となっています。
もちろんバスも鉄道跡を走ります。安田川沿いに魚梁瀬へ続く県道12号線は、安田から既に離合すらままならない「険道」 ですが、途中の馬路をすぎると特にカーブが増え、右へ左へ車体を大きく揺らしつつ進んでいきます。
鉄道は急勾配を避けるために蛇行を繰り返しますから、続く曲線は、ここにかつて鉄路が引かれていたことを物語っているのです。
バスの終点・魚梁瀬はダム建設によってその姿を変え、整然と区画整理された移転集落からは昔を偲ぶことはできませんが、村を切り拓いた森林鉄道の面影は、今も山中にしっかりと残されています。
■高知東部交通馬路線路線概要
安芸と魚梁瀬を安田川沿いに結ぶ路線で、平成22年3月改正の現行ダイヤでは全線毎日2往復に加え、途中の馬路まで平日2往復、日祝日1往復の区間便が加わります。
この路線の歴史は古く、高知県交通の前身にあたる野村組自動車部の手によって、大正9年に安芸・馬路間が開業しました。
しかしながら、残る馬路・魚梁瀬間の開通は遅く、森林鉄道の廃止に伴う道路拡幅が完成する昭和37年まで待つこととなりました。
その後、高知県交通の地域分社化方針に基づき、平成5年に高知東部交通へと路線移管され現在に至ります。
なお、明治40年~昭和38年まで当地には魚梁瀬森林鉄道が引かれ、生命財産の保証をしない「便乗」という形で住民の乗車が認められており、バス開通まで地域の足として重宝されていました。
(25年3月訪問)