2013年3月21日木曜日

【バス終点】琴参バス/瀬戸大橋線

■終点:浦城(うらじょう) 路線図
昭和50年代、瀬戸大橋の架橋工事と共に、それまでの静かな島の景観は大きく変貌を遂げました。
ここは塩飽諸島の最も東に浮かぶ、香川県坂出市・与島。瀬戸大橋の橋台となった島です。


古くは石材と製塩で栄えた地ですが、大坂築城にも使われたという与島石の採石場付近を土台とし大橋が架けられ、そこに暮らした人々は島北部の塩浜塩田を埋め立てた新興住宅街へ移り住んだのです。


伝統的な産業と引き替えに、島は便利になったと言います。島内には島民専用ながらインターチェンジが設けられ、四国本土まではわずか10分で行けるようになりました。

そして、それまでの渡船からバトンを受けた琴参バスが、新たに坂出や児島へと働きに出るようになった島の人々を運んだのです。


もちろん、橋が架かろうと変わらなかったものもあります。
そのひとつが橋とは関わりなく今に続く産業、漁業です。鯛・鰆・メバル・蛸...島のまわりは、今でも多くの魚種を誇る好漁場として知られています。

とくに、橋台からは少しばかり離れた島の東部にあり、漁業で栄えた浦城集落の光景は昔のまま。変わっていません。

変わらなかった景色、変わった景色。
瀬戸大橋を走る異色のローカルバスは、大橋を望む漁港脇の潮錆たバス停から、今日も坂出を目指して走り出します。


■琴参バス瀬戸大橋線路線概要
坂出・与島・櫃石島を結ぶ琴参バス瀬戸大橋線は、 瀬戸中央自動車道の開通に合わせて、琴参バスの前身にあたる琴平参宮電鉄が昭和63年4月10日に開設した路線です。
当時は岡山側・下津井電鉄との共同運行路線であり、児島坂出間を直通で結びました。
直通が廃されたのは平成17年のことで、与島ないし櫃石島を境に本州側・四国側で系統が分割されました。
ただ、現在でも下電バスとの接続は考慮されており、坂出市内相互発着の場合は通算運賃も設定されています。

平成22年10月改正の現行ダイヤでは、坂出-与島間毎日6往復に、土休日運休の坂出-櫃石島間1往復が加わり、平日7往復・土休日6往復が運行されています。

なお、瀬戸中央道開業当初は瀬戸大橋を介して岡山香川両県を結ぶ路線バスが多数設定されており、児島坂出間のほか、 岡山高松、倉敷高松、岡山琴平、倉敷琴平を合わせた5路線が存在しました。

(25年2月訪問)

2013年3月15日金曜日

【バス終点】瀬戸内海交通/宗方線

■終点:宗方港(むなかたこう) 路線図(この一部[宮浦~宗方]です)
芸予諸島で最も大きな大三島。
その中心・宮浦から、南へと西岸の集落を結びつつ走ってきたバスの終点が、島の西南端にあり海に飛び出るように築かれた宗方の港です。


宗方は、潮の流れが緩やかな天然の良港として古くから知られていました。港のまわりをとりかこむ島々が、さながら天然の堤防の役割を果たしているのだそうです。

それを裏付けるよう、当地には航海や潮流と結びつく伝説が多く残されています。

たとえば、当地の八幡神社は、神功皇后三韓征伐のおり、土地の若者が海上案内をしたことに所以があるとされ、また宗方という地名についても、福岡県・宗像神社から神木が流れ着いたことから名付けられたとの言い伝えがあるのです。


しまなみ海道によって島々が繋がった今でも、今治との間が船で結ばれており、このバスも汽船受けのダイヤで走っています。 
来島海峡大橋が架かる以前と変わらないままの、時間が止まったかのようなローカル路線と言えましょう。

とはいえ、やはり架橋の陰で、それまで島の交通を担っていた航路は縮小が続いています。
大三島においても、寄港する航路は本州・四国方面にそれぞれ1航路ずつ残るのみとなってしまいました。

そう、実はここ宗方は伝統の今治航路が発着する島最後の港なのです。

どうかこれからも船受けのバスが走り続けますように。
そこには高速道路とは異なる、のんびりとした時間が流れているのです。


■路線概要
瀬戸内運輸の子会社、瀬戸内海交通の島内ローカル路線です。
宮浦~宗方間は平日・休日問わず13往復のバスが同じ時間に走ります。
昭和46年、瀬戸内海交通によって開設。大三島営業所管内線。
13往復の通常便とは別にスクールダイヤ便(一部のみ一般乗車可/野々江バイパス経由あり)もあり。

(25年3月訪問)