■終点:寺泊大町(てらどまりおおまち)
豪雪の明くる日、雪降り止まぬなか、色なき越後平野をひたすら走ってきたバスは、最後に小さな丘を越えると、日本海広がる寺泊の町へと入っていきます。
ここ寺泊は佐渡路の三国街道終点の宿場町として栄えたところです。また、古くは上杉景勝による兵糧輸送の中継港として、近世では北前船の寄港地として、海上交通の要衝でもありました。
そしてなにより寺泊と言えば佐渡への渡海港でありましょう。
遷御先の佐渡でその生涯を終えた順徳上皇しかり、日蓮上人しかり、佐渡配流とは、ここから対岸の赤泊に渡るものだったのです。
海に面したバス転回場の近くにある防波堤からは、対岸にぼんやりと霞む佐渡島が見渡せます。
あたりは相変わらず雪降りなものの、いつの間にか西の雲は薄くなり、夕日で染まる美しい島影が眼前にひろがっていました。
失意のうちに佐渡海峡を渡る流刑人も見たのでしょうか。幻想的な景色です。
■路線概要
長岡駅と寺泊、またその先にある大野積を結ぶ路線です。
長岡~寺泊間は平日10往復・所要60分、 寺泊~大野積間は同じく8往復・15分です。
廃止された越後交通長岡線(鉄道線)の代替路線でもあり、特に与板以西では鉄道時代とほぼ同じ経路をたどります。
(25年1月訪問)
2013年2月10日日曜日
2013年2月3日日曜日
【バス終点】伊予鉄道/(川内管内)松瀬川線
■終点:松瀬川(ませがわ) 路線図(この最も北です)
「これ、珍しいでしょ。バスがここまで延びてきたとき、家主さんが会社に『ぜひ軒先を使ってください』と言うてくれたそうですよ。」
平日の昼下がり。運転士さんと二人きり、田舎道にエンジンを唸らせながら走ってきた伊予鉄バスが、民家の前で停まりました。
ここは道後平野の東奥にある奥松瀬川集落。道前と道後を隔てる稔山のふもとに15世帯あまりが暮らす静かな山村です。
面白いのは終点の停留所で、なんと集落奥にある民家の軒先に乗り場があるのです。
昔ながらの木製プレートの横には、赤い郵便受け。ここまで地域に溶け込んでいる終点は滅多にないでしょう。
松瀬川までバスが通じたのは、川内管内各線では最も遅い昭和40年の話で、沿線集落からの要望によって開設されたそう。
モータリゼーション前夜のこの時代、横河原の駅まで8キロもある集落のことです。当時、バスがどれほど歓迎されたことか、想像に難くありません。
とはいえ、開設からもう半世紀。時代はすっかり移ろいました。
「バスが出来たとき?思いもつかんねえ。見ての通り今では殆ど乗らないですよ。たまにおばあちゃんが使うくらいですね。」
長らくローカルバスは冬の時代。この路線とて、市の補助金でなんとか維持されているのです。
古き良き頃を知るであろう鄙びたバス停に見送られて、空っぽのバスは少し寂しげに集落を離れていきました。
■路線概要
松瀬川と川内バスターミナル間は土曜平日のみ4往復のダイヤで、うち一部は横河原駅や見奈良駅、東温市役所まで足をのばします。
東温市内の山間集落を結ぶ「川内管内線」のひとつです。
(24年8月訪問)
「これ、珍しいでしょ。バスがここまで延びてきたとき、家主さんが会社に『ぜひ軒先を使ってください』と言うてくれたそうですよ。」
平日の昼下がり。運転士さんと二人きり、田舎道にエンジンを唸らせながら走ってきた伊予鉄バスが、民家の前で停まりました。
ここは道後平野の東奥にある奥松瀬川集落。道前と道後を隔てる稔山のふもとに15世帯あまりが暮らす静かな山村です。
面白いのは終点の停留所で、なんと集落奥にある民家の軒先に乗り場があるのです。
昔ながらの木製プレートの横には、赤い郵便受け。ここまで地域に溶け込んでいる終点は滅多にないでしょう。
松瀬川までバスが通じたのは、川内管内各線では最も遅い昭和40年の話で、沿線集落からの要望によって開設されたそう。
モータリゼーション前夜のこの時代、横河原の駅まで8キロもある集落のことです。当時、バスがどれほど歓迎されたことか、想像に難くありません。
とはいえ、開設からもう半世紀。時代はすっかり移ろいました。
「バスが出来たとき?思いもつかんねえ。見ての通り今では殆ど乗らないですよ。たまにおばあちゃんが使うくらいですね。」
長らくローカルバスは冬の時代。この路線とて、市の補助金でなんとか維持されているのです。
古き良き頃を知るであろう鄙びたバス停に見送られて、空っぽのバスは少し寂しげに集落を離れていきました。
■路線概要
松瀬川と川内バスターミナル間は土曜平日のみ4往復のダイヤで、うち一部は横河原駅や見奈良駅、東温市役所まで足をのばします。
東温市内の山間集落を結ぶ「川内管内線」のひとつです。
(24年8月訪問)